ファインモーション 伊藤雄二調教師が描いた幻の配合とは?引退後に判明した不運が残念すぎる

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【ファインモーション 伊藤雄二調教師が最も期待した幻の配合とは何だったのでしょうか?】


ファインモーションは1999年アイルランド生まれ、
日本では1997年のジャパンカップに優勝し同年のヨーロッパカルティエ賞最優秀古馬に選出されたピルサドスキーを兄にもつ外国産馬です。

その抜群の血統背景から当初はヨーロッパの有力馬主が購入を予定していたそうですが、
最終的には日本の伏木田牧場が繁殖牝馬として購入し、日本に輸入されました。
そのため競走馬として走らせる予定はありませんでしたが、伊藤雄二調教師の目にとまり競走馬としてデビューすることになりました。

デビュー戦は2001年12月1日の阪神芝2000mの新馬戦。鞍上には天才武豊騎手。
最終的には単勝オッズ1.1倍という圧倒的な人気での出走となりました。
兄のピルサドスキーは末脚を武器としていましたが、ファインモーションはその絶対的なスピードが武器でした。

スタートからハナを切って自らレースを作ると逃げたにもかかわらず上り3ハロンを34.0というメンバー最速の末脚でゴールイン。
2着に4馬身の差をつける圧勝でした。 例年関西の有力馬が出走する阪神芝2000mの新馬戦で牡馬相手に楽勝したことでデビュー前の噂に違わぬ強さを印象付けます。

ファインモーションは外国産馬であったため当時は日本のクラシック出走は出来ませんでした。
しかし、名調教師伊藤雄二氏はそのポテンシャルから日本ではなくフランスのオークスを目指すプランを打ち出しますが、
まだ馬が出来上がっていないという判断と、骨折というアクシデントもあり、長期放牧へ出ることとなります。
そして3歳の春は休養に充て夏の函館からの復帰を果たすこととなります。

半年以上の休みを経たファインモーションでしたが、8月の函館の500万条件では 長期休み明け、初の古馬との混合戦などありながらも5馬身差の楽勝。
続く、札幌の阿寒湖特別も圧勝し秋華賞トライアルのローズステークスへ進みます。
ローズステークスでも鞍上の松永幹夫騎手が手綱を殆ど動かすことなく3馬身差の楽勝で重賞初制覇。

無敗のまま秋華賞に挑みます。
このレースでも単勝1.1倍という圧倒的な人気を背負いますが、ゲートが開くとあっという間に先団にとりつきます。

この頃からやや引っ掛かる素振りを見せるようになりますが、 終始5.6番手でレースを進めると武豊騎手のゴーサインに鋭く反応して2着に3馬身半もの差をつけてゴールイン。
初のG1タイトルを得ることとなります。勝ちタイムも1:58.1のタイレコードという優秀なものでした。
同年代の牝馬に敵はいないことを証明し向かうは古馬・牝馬との戦い。
2002年11月10日ファインモーションは第27回エリザベス女王杯に出走します。

これまで幾多の秋華賞を制した3歳馬が1番人気となり敗れているエリザベス女王杯、しかしファインモーションにはそんなジンクスなど関係ありませんでした。
大外枠からスタートすると、その天性のスピードをもって3番手でレースを進めて行きます。
武豊騎手が4コーナー手前から一気に仕掛けるとファインモーションは抜群の反応をみせます。
4コーナー先頭で直線を向いてからは上り33.2という末脚をみせ2着ダイヤモンドビコーに2馬身半の差を付けての勝利
この時点でのサラブレッドとしてのエンジンは牝馬の域を遥かに超えるものでした。

レース後、あまりの強さに武豊騎手は検量室前で「怪物や」と一言漏らし、インタビューでは「乗り手がこんなに乗っていて気持ちいいと思う馬はいない」と絶賛。

そして、この勝利は日本競馬史上で初の無敗の3歳馬による古馬G1制覇と言う偉業が達成された瞬間でもありました。
6戦全勝で次に挑むのは牡馬との戦い。 ファインモーションは 2002年12月22日第47回有馬記念に出走することとなります。
このレースでもファンは怪物牝馬を単勝2.6倍の1番人気に支持しました。

 タップダンスシチーの1周目のマクリに自身のペースを崩されたファインモーションは5着に入るのが精一杯でした。
この有馬記念を境に、ファインモーションは気難しい面を見せるようになっていくのです。

翌2003年、ファインモーションは8月の札幌、クイーンステークスから始動しました。
単勝1.4倍だったことが示すように古馬になっても牝馬戦なら負けるはずがないと思われていましたが、結果は逃げたオースミハルカを捉えきれず2着。
開幕週ということで前残りの馬場だったこと、勝ったオースミハルカとは6キロの斤量差があったことなど、不利な点の多いレースではありましたが、まさかの敗戦となってしまいました。

夏はこの1戦で秋は東京の毎日王冠から天皇賞(秋)を目指すプランでした。
毎日王冠でも、単勝は1.3倍の1番人気。 前走、牝馬に負けたとはいえ評価が下がるわけではありませんでした。

前走のクイーンステークスでは中団から差す競馬を試みましたが毎日王冠ではスタート後、口を割りながらハナに立ってしまいます。
道中の折り合いを欠いてしまい暴走。 結果、最後は失速しての7着という大敗を喫します。
馬の機嫌を損ねるともはや収集がつかなくなっていたように見えました。

外国産馬の出走枠に漏れたために天皇賞(秋)への出走を断念。次走は距離を1ハロン短くしマイルチャンピオンシップに向かいます。
ここではデュランダルの末脚に屈するも2着を確保。 

年内最後のレースは、牝馬限定戦の阪神牝馬ステークスでした。 そして、このレースは断然の人気に応えて勝利。

翌年は半年以上の休みを挟んで安田記念に出走。
しかし、ここでも久々のせいか折り合いを欠いてしまい13着という惨敗。

ファインモーションは地元関西や滞在競馬の北海道では好成績を残しましたが、
中山、東京で行われたレースでは折り合いを欠き良い成績をあげられませんでした。

その後の函館記念を2着になったあと、札幌記念に向かいます。
今までのイメージを一変させる会心の勝利でした。

その後、秋は当初エリザベス女王杯 (GI) への参戦も視野にありましたが、
主戦の武豊騎手がアドマイヤグルーヴに乗るという事情などもあり、マイルチャンピオンシップ (GI) に出走。
レースでは武豊騎手が道中、我慢をさせますが札幌記念ほど折り合っているようには見えず最後は伸びを欠き9着。
これがファインモーションの最後のレースとなり繁殖に入りました。

 

伊藤雄二調教師がファインモーションの繁殖入りする際に最も期待していた配合相手とは?

冒頭でお話した通り伏木田オーナーはファインモーションを繁殖牝馬として購入しました。
その血統背景から当然ながら子供たちへの期待も大きかったはずです。
サンデーサイレンスが亡くなっていたため、最初に配合相手に選ばれたのはキングカメハメハでした。
しかし、結果は不受胎。

以後もファインモーションが受胎することはありませんでした。
その後、医学的に受胎が不可能であることがわかり、繁殖牝馬を引退しました。
前述のとおり元々繁殖牝馬として購入した馬でしたが、結局当初の目的を果たすことはできす功労馬として繋養されることとなったのです。

ファインモーションの類まれなるスピードとパワーが次の世代に引き継がれないのは残念で仕方ありません。
しかし、ファインモーションが見せたレースでの走りは記憶に残り、次の世代に語られるのではないでしょうか。

 

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