ブエナビスタ 伝説の新馬戦で能力を確信した安藤勝巳騎手が思う超一流馬の条件とは?

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【ブエナビスタ 安藤勝巳騎手が思う超一流馬の条件とは何なのでしょうか?】



ブエナビスタは父スペシャルウィーク母ビワハイジの6番目の子供として2006年3月に誕生します。
母ビワハイジは自身が当時の阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)を
あの名牝エアグルーヴを退けて勝利しておりブエナビスタの兄にあたる産駒にはクラシックで好走を続けた
アドマイヤジャパンや重賞ウィナーであるアドマイヤオーラがおります。

そんな名繁殖牝馬を母に持つブエナビスタは幼い頃から期待を背負っており、
兄たちを預かった松田博資厩舎に入厩後もその評判は高かったと言います。

そんなブエナビスタが後に伝説の新馬戦と言われるレースでデビューを迎えたのは2008.10.26京都芝1800mの新馬戦。
牝馬が強い時代の象徴であったウオッカとダイワスカーレットの死闘が繰り広げられた天皇賞・秋の1週間前のことでした。

新馬戦では慌てて仕上げずゲートもあまりうまくない馬が多かった松田博厩舎らしくブエナビスタも直線だけの競馬でメンバー最速の上り33.5を使って追い上げたものの3着に終わります。
後に安藤勝巳騎手は「レースが終わってからもまだ前の馬を追っかけるからね。負けたけどすごい馬だと思った。」という旨のコメントを残しております。

また、このレースは伝説の新馬戦と言われるだけあり錚々たるメンバーが揃っておりました。
勝ったアンライバルドは皐月賞馬となり、2着リーチザクラウンはきさらぎ賞勝利やダービー2着、後にマイラーズCを勝利と活躍。
4着のスリーロールスも菊花賞馬となる素晴らしいメンバー構成でした。

次走の未勝利戦は当然のように楽勝し1勝馬ながら阪神ジュベナイルフィリーズに抽選を経て出走。
しかも未勝利勝ちの馬が1番人気となり圧勝してしまったのです。
4コーナー16番手から他馬を桁外れの末脚で抜き去り2着のダノンベルベールにつけた着差は2馬身半

しかもレース後に手綱を取った安藤騎手は「直線で先頭に立つと、馬が遊んでいた」と語ったそうです。

母ビワハイジと同レースの親子制覇を成し遂げ、世間からもウオッカ、ダイワスカーレットを継ぐ牝馬として見られていきます。



この時点で牝馬三冠は確実視され桜花賞トライアルのチューリップ賞では単勝1.1倍という圧倒的な人気を背負いながら楽勝。
牝馬クラシック第一弾である桜花賞でもライバル、レッドディザイアが久々ということもあり単勝1.2倍でレースを迎えます。
桜花賞では4コーナーでは絶望的に見えるような位置から大外を33.3の上りを使って勝利。

続くオークスでは初の2400mや長距離輸送、極端な追い込みと言う脚質的な不安やライバル、レッドディザイアの
前走からの体調面の上積みから不安説を唱える者がいる中でも1.4倍の圧倒的支持を得ることとなります。

レースでは桜花賞と同じく後方から進み最後の直線で抜け出すのに手間取りながらも最後は強烈な豪脚で強襲し、
先に内から抜け出したレッドディザイアをハナ差差しきってゴールイン、スティルインラブ以来の牝馬二冠を達成しました。

なお、オークス当日の東京競馬場の馬場は含水率が高く、外からの後方一気が非常に決まりにくい重く渋った馬場であったと言います。
後の安藤勝巳騎手のコメントとは?

 このようにブエナビスタは牝馬二冠を制しましたが、以前より計画されていた凱旋門賞挑戦を表明しました。

陣営、そして関係者はあのディープインパクトでも成し遂げられなかった凱旋門賞制覇という夢をブエナビスタに託すこととなります。
3冠を狙わず札幌記念からフランス遠征へ向かうのがプランでした。 

そして前哨戦として選んだ札幌記念でも1番人気に支持されたブエナビスタは強い競馬を見せます。
しかし、7番人気と伏兵だったヤマニンキングリーにクビ差及ばず2着に敗れます。

内容としては決して悪いものではありませんでしたが、
札幌記念を勝てばフランスへと考えていた松田博資調教師は「ここで勝てないようでは行っても仕方ないから」という理由で凱旋門賞挑戦を断念。  

結局、ブエナビスタは三冠を狙うべく秋華賞に向かいます。
レースでは桜花賞、オークス同様に強烈な末脚を発揮しますが、ここではレッドディザイアを差し切ることはできず、ハナ差での2着入選。
しかも、3位入線したブロードストリートの進路を妨害したということで、結果的には3着降着となってしまいます。 

雪辱を果たすべく次走は古馬牝馬との戦いエリザベス女王杯に挑みますが、大逃げを打ったクイーンスプマンテと、
それを追いかけたテイエムプリキュアが、最大20馬身も引き離す流れを作ります、
後に安藤騎手が「前の2頭が見えなかった」といほどの差。

そのまま前の2頭にワンツーフィニッシュを決められてしまいます。
ブエナビスタも32.9という極限に近い脚を使い猛然と追い上げてきたものの、3着までが精一杯となりました。

 凱旋門賞白紙からの連敗、とりわけエリザベス女王杯での結果は安藤勝巳騎手にとっては厳しい結果を突き付けられました。
安藤勝巳騎手のブエナビスタ降板、2009年最後のレース有馬記念には横山典弘騎手が騎乗することとなります。  

この交代劇について、安藤騎手の「ブエナ、クビになっちゃいました」という言葉が今でも忘れられません。 

 有馬記念でのブエナビスタは、 横山典弘騎手を背に前から5、6番手の好位からレースを進めていきます。
今までの後方からの競馬ではなく積極的に4コーナーを3番手で回ると、直線でも早めに先頭に立ちました。

しかし、今度は後方から直線勝負に賭けたドリームジャーニーに、ゴール直前に差し切られ半馬身差の2着。
先行から早め先頭と言う強い競馬をしましたが、勝つことは出来ませんでした。

このレースで優勝したドリームジャーニーに騎乗した池添謙一騎手は「自分の手応えと脚色が違ったので、勝てると思いましたね。ただ、交わしきってからも食らいついてきましたし、大した馬だ、強い馬だなあ、と」語ったそうです。

 ブエナビスタの3歳秋は、どこかスッキリしない感じでおわりますが。それでも、最優秀3歳牝馬に選出されました。

 

年が明けた2010年、4歳を迎えたブエナビスタは、「古馬の王道路線」を進むこととなります。 

有馬記念以来の京都記念では、有馬記念と同じように好位からの競馬で、その年の春に天皇賞馬となるジャガーメイルの強襲を半馬身ほど抑えての勝利。
初の海外挑戦となったドバイ・シーマクラシックではO・ペリエ騎手を背に勝ったダーレミから4分の3馬身差の2着。

日本に戻ってきたヴィクトリアマイルでは、遠征による疲れをものともせず先行したヒカルアマランサスをクビほど差し切って勝利。
続く宝塚記念では、今度は先行策から堂々の競馬を見せますが、ナカヤマフェスタの強襲にあい2着に敗れます。 


宝塚記念後、夏場を休養にあてたブエナビスタは秋の初戦として天皇賞を選びます。 

このレースは宝塚記念以来の久々でしたがここでも1番人気に推されます。
天皇賞・秋ではドバイ戦を除いて手綱を取っていた横山典弘騎手の落馬負傷のため、C・スミヨンに乗り替わりがありました。 
結果は完勝と言えるものでした。もしかすると、これまで戦ってきた牡馬混合のGⅠレースで最も楽なレースだったかもしれません。

レース後、初騎乗であったC・スミヨン騎手のコメントは2008年の凱旋門賞を含むGIレース5勝のフランスの「ザルカヴァに似ている」と評しています。
さらには「操縦性ならザルカヴァよりも上」と語ったそうです。 

スミヨン騎手が全レースに騎乗して7戦全勝だった歴史的名牝ザルカヴァを引き合いに出すほどなのですから、
ブエナビスタの走りに相当な衝撃を受けたのではないでしょうか。
こうしてブエナビスタは、天皇賞・秋を勝利し父スペシャルウィークとの父子制覇も成し遂げます。

天皇賞勝ちで勢いに乗ったブエナビスタは、続くジャパンカップでも先頭でゴールを駆け抜けました。
しかし、2着入線のローズキングダムの進路を妨害したとして、降着処分を受けての2着。 

これがきっかけでブエナビスタの歯車が狂ったようにも思います。 
その後の有馬記念ではいつものように猛然と追い込んだものの、ヴィクトワールピサをハナだけとらえることができずに2着。

年が明けた2011年、5歳となったブエナビスタの前にはまたも試練が待ち受けます。
有馬記念からぶっつけとなるドバイ・ワールドカップで、デビュー以来最低の8着。

過去に複勝圏内である3着を外したことのない馬だっただけに、衝撃でした。
しかも、1、2着ともに日本のヴィクトワールピサ、トランセンドだったのです。 

その後も、勝ちに恵まれないレースが続きます。 
帰国初戦のヴィクトリアマイルではアパパネに惜敗の2着。
宝塚記念でも、前年の天皇賞(秋)で完勝したアーネストリーの前に2着。
さらに前年同様ぶっつけで臨んだ天皇賞(秋)ではトーセンジョーダンの4着。    

前年のジャパンカップで狂った歯車は、なかなか元に戻りませんでした。

1年以上勝利を挙げることは出来ませんでしたが、海外でのレースを除けばレース内容はいずれも悪くありませんでした。
狂った歯車を元に戻すきっかけがあれば、、、そんなファンの期待もあったことでしょう。

そのきっかけを掴むには昨年の降着があったジャパンカップは最高の舞台でした。 

松田博資調教師は、渾身の仕上げをしたのです。
ヴィクトリアマイルから3戦続けて勝たせることができなかった岩田康誠騎手も、雪辱を期していました。 

とはいえ、ファンの評価は冷静なものでした。海外戦を除く過去19戦のすべてで1番人気に推されていたにもかかわらず、初めて2番人気という評価だったのです。
自身の持つJRAレースの1番人気最多連続記録は19回で途切れてしまいました。

1番人気は凱旋門賞馬デインドリームに譲る形となります。
デインドリームは凱旋門賞では11番人気と評価は低かったのですが、レースでは5馬身差の圧勝でした。 

その他にもGⅠに実績のある3頭の外国馬がジャパンカップには参戦。
日本馬にしても好メンバーが揃い激戦が予想されました。

 いよいよジャパンカップのスタートが切られます。
前半1000メートルは61秒8。2400らしく淡々とした流れ。 


最後の直線。内には天皇賞馬トーセンジョーダン、外にブエナビスタ。
マッチレースになりかけたとき、ブエナビスタの方がグイッと前に出ました。 
昨年の雪辱を果たしブエナビスタは再び頂点にたったのです。

 久々の勝ち星を挙げたブエナビスタには、年内いっぱいでの引退が決まっていました。

ブエナビスタの最後のレースはもちろん有馬記念。

レースでは引っかかってしまったこともあり、自慢の末脚は不発のまま7着に敗れます。
残念ながら有終の美を飾ることはできませんでした。 

 ブエナビスタは記録の上ではGⅠレース6勝、当時の歴代牝馬で最高賞金額を獲得。
また2011年の牝馬の世界最高レイティング120という記録を残しております。
更に驚くのは当時、一流牝馬は早く引退して繁殖に上がる傾向が強い中、王道路線を使い続け23戦のキャリアを誇ります。

そんな超一流馬とよぶに相応しいブエナビスタに騎乗していた安藤勝巳騎手が思う超一流馬の条件とは? 

名手の記憶に超一流馬として残るブエナビスタは我々ファンにも記憶に残る名馬だったと思います。
今後もファンの間でその強さが語られていくのではないでしょうか。

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