【藤沢和雄調教師は何故タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞でも好勝負になると思ったのでしょうか?】

1994年3月23日タイキシャトルは米国のタイキファームで生まれました。
父デヴィルズバッグは、アメリカのGIシャンペンステークス等を制しており生涯成績は9戦8勝の名馬でした。
また母ウェルシュマフィンは主にアイルランドや北アメリカで競争生活を送り、9戦して3勝。
ウェルシュマフィンには岡部幸雄騎手もアーリントン・バドワイザーBC、ノーブルダンセルというレースで騎乗しているそうです。
今回の主人公タイキシャトルはウェルシュマフィンの2番目の子供となります。
タイキシャトルは当初、1996年秋に藤沢和雄厩舎に入厩する予定でしたが、
脚部の負傷や蹄の化膿によって予定が遅れ、翌1997年2月に藤沢厩舎に入厩しました。
そして、入厩後も脚の状態に悩まされたと言います。
そんなタイキシャトルがようやくデビューできたのは、4歳の4月。当然クラシックは間に合わない状況でした。
デビュー戦は東京のダート1600メートル。
ウェルシュマフィンの最初の子供、つまりタイキシャトルにとって姉であるタイキフォレストがダート指向だったからという理由もあったのかもしれませんが、ソエで脚元が固まっていないため、負担の少ないダートが選ばれたというのが実情だったようです。
そんなデビュー戦、タイキシャトルは2着に4馬身差をつけて快勝し、続く京都の500万下も着差は1馬身ながらも楽々と勝利。
この時期のダート路線は地味と言わざるを得ませんが連勝します。
レースを使うごとに徐々にソエも良化していき、3戦目は初の芝のレース菖蒲ステークスに挑みます。
ダートから芝に変わっても、タイキシャトルの勢いは止まりませんでした。
菖蒲ステークスでは、のちに京成杯オータムHの勝ち馬となるシンコウスプレンダを退け快勝。
続く阪神の菩提樹ステークスでは5人気の伏兵テンザンストームに逃げ切られたものの内容的に強い競馬でした。
菩提樹ステークスに2着したあと3か月の休養に入ったタイキシャトルは、10月の東京で復帰しました。
緒戦はダート1600メートルのGⅢ、ユニコーンステークス。 なぜ藤沢調教師はダート戦を使ったのでしょうか?
そのユニコーンSでは1番人気がショウナンナンバー、2番人気ワシントンカラー。
タイキシャトルは3番人気、生涯を通じて3番人気以下だったのはこの1戦だけで後は2番人気以内であったことを考えれば低い評価だったといえるのではないでしょうか。
久しぶりのダート戦だったことが影響したのかもしれません。
そんなタイキシャトルでしたが、2着ワシントンカラーに2馬身半をつけて楽勝でした。
次走は、再び芝のレースに戻り、GⅡのスワンステークス。
スギノハヤカゼら古馬を相手に快勝し重賞連勝を飾ります。
なぜ、スワンSからの2戦は横山騎手が騎乗したのでしょうか?
シンコウキングがかなり気難しい馬なので、岡部騎手でなければうまく乗りこなすことができないと考えた藤沢トレーナーの決断によるものだったと言います。
秋3走目となるタイキシャトルは、1997年の最大目標となるマイルチャンピオンシップに出走しました。
1997年11月16日第14回マイルCS1番人気はスピードワールド、3連勝のあと現在の年齢表記3歳で安田記念を3着し前走の毎日王冠ではバブルガムフェローの3着としマイルCSで初騎乗となる武豊騎手を鞍上に迎えての参戦。
そして2番人気にはタイキシャトル。
3番人にはデビューから3着内を外すことなく堅実な走りを続けながら2連勝と勢いに乗るトーヨーレインボーでした。
いよいよ緊張のゲートイン。スタートが切られるとレースを引っ張ったのは、キョウエイマーチでした。
逃げたキョウエイマーチが驚異的な粘りを見せます。
そんな中でタイキシャトルだけがキョウエイマーチに襲い掛かります。
鞍上の横山騎手がゴーサインを送るとあっという間にキョウエイマーチを交わして先頭に立ちます。
そしてそのまま押し切ってゴールイン。
2着のキョウエイマーチにつけた着差は2馬身1/2。完勝と呼べるものでした。
こうして、タイキシャトルはマイルCSを制し、初のGⅠタイトルをその手中におさめました。
なお、同一年にマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスの2つの秋短距離GIを勝ったのはタイキシャトルが初めてでした。
1997年は、他にGI競走で際立った実績を挙げた馬が少なかったため、短距離馬として初の年度代表馬選出の可能性もささやかれましたが、
年度代表馬はエアグルーヴとなり、タイキシャトルはJRA賞最優秀短距離馬に選出されました。

年が明けた1998年、タイキシャトルの陣営は8月に行われるフランスのGIジャック・ル・マロワ賞での勝利を目標とします。
春シーズンは国内で走ることが決まっており、京王杯SC、安田記念に使う予定になっていました。
年明け初戦となった京王杯。鞍上にはシンコウキングの引退もあり岡部幸雄騎手が戻ります。
レースはまさに圧巻の内容でした。
休み明けの不利を心配する声もありましたが、道中は3番手と言う好位からの競馬で単勝1.5倍の人気に応えて楽勝。
レース後の藤沢調教師のコメントは?
藤沢調教師は、ジャックルマロワ賞でも好勝負になると確信したと言います。
ジャック・ル・マロワ賞が行われる1週間前に同じく日本調教馬のシーキングザパールがモーリスドギース賞を勝ったことでタイキシャトルにかかる期待は大きくなりました。
そんな影響もあったのでしょうかジャック・ル・マロワ賞でのタイキシャトルの単勝オッズは圧倒的な1番人気でした。
いよいよレースのスタートが切られます。レースを先導したのはケープクロスでした。
タイキシャトルも手応えよく2番手を追走。
ドーヴィルのマイル戦は直線だけのコースでした。
それだけに仕掛けどころが難しいと言います。
ゴールまであとわずか。
タイキシャトルは先頭に立つとアマングメンの猛追を半馬身だけ抑えてゴールイン。
ついに悲願の海外GI制覇を成し遂げたのです。
その後はムーラン・ド・ロンシャン賞やブリーダーズカップ・マイルに挑戦することも検討されましたが、最終的には日本のマイルチャンピオンシップに進むことが決まりました。
マイルチャンピオンシップでのタイキシャトルは、2着のビッグサンデーに5馬身という差をつけ、圧勝しました。
年内引退が決まっていたタイキシャトルの引退レースはスプリンターズSでした。
確勝と思われていた単勝オッズは1.1倍、しかし、まさかの3着に敗れてしまいます。
このスプリンターズSは「大番狂わせ」と見られる向きもありましたが、タイキシャトルの関係者たちにとっては敗北の前兆があったようです。
原因は何だったのでしょうか?
スプリンターズSでは、マイルチャンピオンシップより、体重がさらに6キロも増え530kg。
体が仕上がっていない上、気持ちが競走に向かわなくなっていたのであれば。
あの敗戦は、陣営にとってある意味必然だったのかもしれません。
タイキシャトルについて今もなお史上最強のマイラーと評価している人は少なくないようです。
ニッポーテイオー、オグリキャップ、ヤマニンゼファーなど過去の名マイラー達が中距離でも好成績を収めていたことから、タイキシャトルにも中距離のレースへの出走を望む声があったようです。
このことには、距離適性を重視する藤沢調教師が短距離に拘ったという解釈もあるようです。
同年代のサイレンススズカとはサイレンススズカがまだ強くなる前に1度だけマイルCSで対戦しておりますが、そのレースに関しては名勝負とは言い難くもしも連勝中のサイレンススズカと2000m前後のレースで対戦していたらどうなっていたのかは私としても気になる所です。
個人的に近年の競走馬で名マイラーとして思い浮かぶ馬はモーリスですが、モーリス引退後の短距離戦線は混戦といえる状態かもしれません。
今後、タイキシャトルやモーリスを超えるような名マイラーが出現することを楽しみにしようと思います。
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