アグネスタキオン 河内洋騎手が考えるタキオンのベストレースとは?

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【河内騎手が考えるアグネスタキオンのベストレースはどのレースだったのでしょうか?】

アグネスタキオンは1998年4月13日、父サンデーサイレンス、母アグネスフローラの5番目の子供として生を受けます。

母のアグネスフローラは自身が桜花賞を勝ちオークスを2着しており、アグネスフローラの母、つまりアグネスタキオンの祖母であるアグネスレディーはオークスを制しておりその抜群の血統背景からも子供たちには期待がかかっていたようです。

しかし、アグネスフローラの初仔から3番目の子供までは目立った活躍を見せた産駒は出ませんでした。むしろ、体質の弱さが目立っていました。

 

しかしアグネスタキオンが生まれる前年の1997年に生まれたタキオンの全兄であるアグネスフライトがダービー制覇を成し遂げアグネスレディー→アグネスフローラ→アグネスフライトという親仔3代に渡るクラシック制覇という偉業が達成されたことでアグネスタキオンにも当然のように注目が集まりました。

 

また、この親子3代によるクラシック制覇は河内洋騎手騎乗によるものでした。

 

そんなアグネスタキオンはちょうど兄であるアグネスフライトがダービー馬となった頃に社台ファームにおいて、兄以上の逸材かもしれないと言われていたそうです。

 

そんなアグネスタキオンがデビューを迎えたのは比較的遅く、2000年12月2日の阪神芝2000m新馬戦でした。アグネスフライトの全弟ということで注目を浴びたものの、意外なことに調教タイムが目立つ数字ではなかったため3番人気でした。今にして思えば過小評価と言わざるを得ません。しかしレースでは、圧倒的な強さを見せつけます。新馬戦にも関わらず上がり3F33秒8を記録し、2着ブロードキャストに3馬身半差をつけての圧勝。3着にメイショウラムセス、5着に1番人気のボーンキング、9着にアドマイヤセレクトと有力馬、良血馬の集まった豪華な顔ぶれのレースでした。

 

鞍上の河内洋騎手はこの時点で兄のアグネスフライトより能力が上と確信したと言います。

 

そんなアグネスタキオンの2戦目にはラジオたんぱ杯3歳S(現在のラジオNIKKEI杯京都2歳ステークス)が選ばれます。

 

このレースでは1番人気が(後にNHKマイルC、ジャパンカップ・ダートを制することとなる)クロフネ。

松永幹夫騎手騎乗のクロフネは新馬戦、エリカ賞を連勝中でした。

 

2番人気にはアグネスタキオン

 

そして、3番人気には後にダービー、ジャパンカップを勝つジャングルポケットでした。

今考えると豪華すぎるメンバー構成ですが、当時の戦前の評価もこの3頭の評価が高かったようです。

レースでは福永騎手騎乗で唯一の牝馬スターリーロマンスが先手を奪い2.3番手にマイネルエスケープ、プログレスパレスが続きます。人気の3頭はクロフネ、ジャングルポケットが4.5番手集団、アグネスタキオンは7番手あたりといったところにポジションしていました。

 

前半1000mの通過は61秒8、デビュー間もない若駒たちのレースだけあってゆったりとした流れ、

スローペースを察した河内騎手は、3コーナーで早くもまくりはじめ、4コーナーでは先頭に並ぶといういわゆる早仕掛けと言われる戦法を取りました。 普通の馬であれば3角からまくり気味に進出すれば最後は足が上がりそうな物、しかしそれは普通の馬の場合。 アグネスタキオンは早仕掛けにもかかわらずメンバー最速の上りとなる34.1の末脚を繰り出してゴールイン。 最後に追い上げてきた2着のジャングルポケットの上りが34秒5 3着クロフネの上りが34秒8上り34秒台を使ったのは上位3頭のみ、また2.3着馬のその後の活躍を見てもアグネスタキオンがどれだけ強かったのかがわかるのではないでしょうか。 後に河内騎手か語った言葉とは?  

年内のレースを2連勝で終えたアグネスタキオンは来春のクラシック戦線に向かう事となります。

 年が明けた2001年、同じ長浜厩舎のアグネスゴールドが1月の若駒S、2月にきさらぎ賞を勝ち、新馬から3連勝。

 

そのアグネスゴールドとの兼ね合いもあり、アグネスタキオンは弥生賞、アグネスゴールドはスプリングSを使って皐月賞を目指すこととなりました。

 

長浜調教師の自信のコメントもあったせいかアグネスタキオンが出走した弥生賞では他の陣営が恐れをなしたかのように出走を回避。結局8頭立てという少頭数のレースとなります。

アグネスタキオンの人気も断然で単勝120円という支持を集めます。

過去2戦は中団からの競馬でしたが、不良馬場というコンディションの中、アグネスタキオンは好位の3番手につけます。結局、2着のボーンキングに5馬身差をつけての圧勝、このレースの4着には後の菊花賞馬であるマンハッタンカフェもいました。

 

 

レース後、河内騎手は「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできたと思う」「今日は少頭数だから参考にはならない」とコメントを残したそうです。また、2着のボーンキングに騎乗した武豊騎手は「強すぎるね、クラシックもハンデ戦にしないとね」と冗談交じりにコメントしたと言います。

 

2001年4月15日、第61回皐月賞。 1番人気には当然のようにアグネスタキオン。2番人気には前走、共同通信杯を圧勝したジャングルポケット。3番人気には後に宝塚記念を制するダンツフレームでした。 

なお、クロフネは外国産馬のため皐月賞の出走権を得れず。
朝日杯を制したメジロベイリーは脚部不安で休養中。
同じ長浜厩舎のアグネスゴールドはスプリングSを勝ち4連勝としたもののレース後に骨折がわかり戦線離脱。

 ライバルとなりえる馬達の出走がかなわなかったこともありますが、何よりもアグネスタキオンのこれまでのレースぶりは既に3冠の声もあがるほど強烈なパフォーマンスであり、皐月賞当日も人気は単勝1.3倍という圧倒的なものでした。

 勝って当たり前と思われる中でいよいよ緊張のレースがスタートを切られました。
 レースは、14番人気シュアハピネスが逃げます。 
最後の直線では難なく押し切るレースで優勝。

この勝利に河内騎手のコメントは? 

一方、管理する長浜調教師は不安を見せるようなコメントを残したそうです。 

これで4戦全勝、しかもいずれも危なげのない内容での勝利でした。 

しかし、実は、河内騎手は皐月賞のレース内容自体には不満を感じていたようです。「なにか物足りなかったんですよね。本来なら、もっと弾ける馬でしたから」と、皐月賞を振り返っています。

三冠達成が期待されたアグネスタキオンでしたが、5月2日に左前浅屈腱炎を発症し日本ダービー出走を断念。 

長浜調教師の抱いていた不安が現実のものとなってしまいます、 

その後社台ファームに放牧に出されますが、後に引退が発表されます。

屈腱炎を発症した左脚は不安を抱えていた右脚をかばって発症したという意見や、特に極悪の不良馬場で行われた弥生賞に原因があるという意見もあるようです。

アグネスタキオンが倒した馬たちの後の活躍を見ると、いかにアグネスタキオンの能力が高かったのかがわかります。

「幻の3冠馬」と呼ばれたそうですが、それは決して大げさではないと感じます。

 

もしも無事だったらその後の活躍はどんなものであったのでしょうか、本当に残念でなりません。

なぜ、河内騎手はアグネスタキオンのベストレースをラジオたんぱ杯と考えていたのでしょうか?

 

これは推測の域を出ませんが、一般的に新馬戦は特に素質馬の場合、100%の仕上げで出ることは少ないこと、弥生賞は不良馬場と少頭数で河内騎手自信が参考外と語り、皐月賞も物足りないとコメントしていることからも早めに仕掛けて押し切ったレース内容、倒した相手からもラジオたんぱ杯がベストレースと考えたのではないでしょうか。

アグネスタキオンの同世代の代表馬たちはジャングルポケットがアグネスタキオン不在の日本ダービーを制し、その年のジャパンカップを優勝

クロフネはNHKマイルC、ジャパンカップダートを勝利

マンハッタンカフェは菊花賞、有馬記念、そして天皇賞・春を勝利

ダンツフレームは宝塚記念を勝利

 

皆さんご存じの通りかと思いますが、その馬たちに一度も負けることがなかったアグネスタキオン。

引退後、種牡馬としても数々のG1馬を輩出し2008年にはリーディングサイアーを獲得しますが、

翌2009年に急性心不全のため11歳という若さで亡くなります。

タキオンとは「超高速の粒子」のこと、アグネスタキオンはその名の通り超高速でターフと生涯を駆け抜けたと言えるのではないでしょうか。

 

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